プロレス合気道

最近、ある合気道の先生のYoutube動画を見ていて、コメントを読んだ。「それはちょうどWWE(アメリカの芸能プロレス)じゃんか」と。私は、「あれ、それってあたってるかも」と思い、考えるきっかけとなった。

比べて考えると、合気道とプロレスの両方は二人の相手がいて、その片方は相手に突っ込んでいって、放り投げられ、負けるように見える。役割と技は、ほとんど二人の間で分かり合っている。外部の人がそれを見てて「良い」と評価する場合、二人がどの程度なあなあなのか(やられる方がどの程度協力し・何されるのか分かっている)がわかりにくい。やられる方が本当に痛みを感じ、力を受け、予想つかない結果になることでさらに評価する。

合気道の人は疑いにどのように応えるのか。多くの場合、痛み・威力・予想つかない結果が本当だよ、と。だが疑う人はなあなあの決まりごとしか見えない。事実であっても、本当に思うより痛い・すごい威力・どうにもならない、ていっても説得力はあまりないだろう。

レベルの低い疑い・批判に対して、上記のような対応は実はレベルの低い、無効果な対応なのだ。もっと説得しようとするということは、もっと痛く・力強く・メチャクチャにすることであり、より悪い合気道をすることと同然だ。

もう一つの疑い・批判への対応は、実は説得力はないかもしれないが(実は疑いを無視するともいえよう)本来の武道の修行と関係ある。合気道とプロレスの違いは、合気道では相手との関係を感じ取り、磨いていくのだ。両方が分かっている型を繰り返していくうちに誠実な関係を目指す。誠実だが厳しい。両方の間の対話が派手な投げにならないかもしれないが、プロレスと違って、それが目的ではないのだ。誠実な関係とは両方が誠に互いの動きに対応し合い、両方が等しく対話に参加し、そして片方の相手は制される・崩される・破られる形、要は等しくない面もあるので、隙が発生するので両方が正直であり、取りすぎ・受けすぎないように目指して行う。

相手との関係の他に、合気道ではもう一つの目的がある。それは個人の門人のこと。その方は乱れない心を創っているのか?つかえるような体を鍛えているのか?よりよく感性・集中力を創っているのか?他のスポーツや武道をやって発展するかもしれないが、その発展は目的だと言えるか?ここが違いだと思う。

プロレスの姿勢で合気道を行う人がいる。運動能力を開発し、力の出し方・受け方を上手になり、そしてある精神的な面も発展する。だが、これらはこのようなスポーツ的な稽古の副生なのだ。主の目的と言えないだろう。

私はレベルの低い、スポーツ系の合気道に対して二つの批判がある。このような合気道は現実では健やかに行っていないという事実に基づいている。テレビで見るプロレスと家でその真似をしている自分を想像すると、迫力や厳しさが全然違うだろう。(「間」も「美」もない、「腕相撲合気道」になる。)

すなわち、レベルの低い合気道でも現実を見ると厳しい・鋭い・凄いような稽古ではない。このような稽古では身体的な益どころが、精神的な益も得れないだろう。身体的な面を考えると、力の出し方・受け方を養っているか?細かいタイミングを使っているか?余裕のない状況で動いているか?身体を最も使っているか?もししているのであれば、益も得ているだろう。していないのであれば、どうやって益を得ている?痛い・威力ある・予想のつかない稽古していると言っても何らかの凄さがなければ、ただのぎこちない、乱暴な、メチャクチャなことかもしれない。何らかの凄いレベルを目指すのをおろそかにし、他の方法で精神的な益を得ようとしないのであれば、欠けている稽古だろう。

二つ目の批判は、痛み・威力(そして結果となる苦しみ・疲れ)を水準で自分の稽古を「本物」だと評価すること。下手な行き当たりばったりな痛みの使い方に対して麻痺してくとは自分を保ち、感性を磨く武道の姿勢と全く反対だ。身体的・精神的なタフさ・強さは正しい稽古の副生であり、技術の知識を身につけるのと同様、「道」を続ける必要の要素だ。

私は、上記で述べた「レベルの低い合気道」がもっと盛んになっていくのを見ると心配になります。このような合気道では自分の中をあまり見つめない、相手との関係をあまり開発していかない、しかもあまり凄いと言えるような技(結果)が発展されない。(「凄い」という言葉の意味も徐々にあまりすごくないものも意味してきているようだ。)逆に、いい加減な力の使い方、ほとんど意味ない痛みの与え・受けることが見える。外部の方に一番疑問持ちやすい要素であり、立派な合気道のふさわしい体表の要素ではない。

プロレスのような凄い合気道もあります。このような合気道をすると体の機能、耐久性、良いタイミングのセンスなどスポーツ的な益を得れる。だが実際にこのような稽古をする人は激しい稽古を好む若い方であって少ない。

色々な人が参加できて、いい加減にできる、レベルの低い合気道を勧める方もいるが、勧めなくても人々は自然にそのような楽なものに惹かれる。合気道という伝統の指導者・リーダーは下手なプロレスみたいな合気道にならないように素晴らしい合気道の良い面を実現する、という責任がある。一番集中しなければいけない厳しい合気道でなくても、正直な関係を創る、そして自分を見つめる、という肝心な要素をある程度含めるべきだ。

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